兵庫の名所と歴史

大永2年(1522年)に政豊の子山名誠豊が播磨へ攻め込んだんですが、この時になると太田垣氏は出軍要請にも従わないようになり、赤松氏は結束を取り戻し山名軍を追放することになったのです。400年もの歴史を考えると、さまざまな歴史的なはいけいがありますよね。そういた歴史をしってから、観光に行くことはたいせつであるとおもいます。つぎに安土桃山時代の兵庫の名所 竹田城について考えます。出雲の戦国大名・尼子氏は永禄9年(1566年)の月山富田城の戦いで毛利元就に一旦滅ぼされましたが しかし、その年の永禄12年(1569年)5月に元就が九州で大友氏と交戦(多々良浜の戦い)している隙をついて、同年6月に出雲奪還を目指す尼子氏残党が挙兵したときに、以前尼子氏と同盟していた山名祐豊(誠豊の甥)がこれを支援したのです。そして これに対して毛利元就は織田信長に祐豊の背後を脅かすような指示を出し但馬出兵を依頼したのです、これに応じた信長は8月1日に木下秀吉軍2万兵を派兵し、わずか10日間で18城を落城させました、8月13日には京都に引き上げそして。此隅山城にいた山名祐豊は堺に亡命したが、同年末には一千貫を礼銭として信長に献納して但馬への復帰を許されたのです。

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