兵庫で名所をめぐる

また、現在においても築城に関しては不明な点が多いことがたくさんあります。江戸時代末期に成立したといわれる『和田上道氏日記』によると嘉吉年間(1441年 – 1443年)に丹波国、播磨の出入口である竹田の地に「安井ノ城」が築かれたことを記されていて「安井ノ城」とは「竹田城」そのものをさします。そして『和田上道氏日記』は古い伝承をまとめたもので、竹田城の築城に関しては他に史料がなく『史跡・竹田城』によると「嘉吉三年、実は山名持豊によって築かれていて、太田垣光景が初代城主に任じられたとする口碑を残すのみであるとして永享3年(1431年)に但馬守護山名宗全(持豊)によって築城されていたのです。驚きの事実ですよね。また、太田垣光景が初代城主と言われる伝承を紹介していて。この時期において、但馬守護山名氏と播磨守護赤松氏の間で度々軍事的衝突が起こっているのですよ。それは、嘉吉元年(1441年)6月、当時の室町幕府6代将軍足利義教が重臣で播磨・備前・美作守護赤松満祐に暗殺されたときには、幕府による追討軍に宗全が志願したからなのである(嘉吉の乱)。また、その年の8月に幕府より追討令を受けた宗全は一族を動員して3方から播磨を攻められていることから、宗全軍は丹波より生野から播磨に入国したときに、9月に城山城にいる満祐を滅ぼしたのです。10月に宗全は恩賞として任命された播磨守護として入国し、太田垣氏を守護代とし赤松氏の掃討戦を実施しているのです。

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